輝いた愛に溢れる本当の自分を取り戻す方法 〜優しい魔法の解き方〜

迷子になりながらも本当の自分へ戻っていく過程を書いていきます

信仰することは本当に必要か?

こんにちは

昨日の記事の信仰についての続きです。

 

信仰することはとてもいいことですが、

自分の軸がブレているときは、危険です。

信仰先の指導者の声が絶対だと思い込んでしまうので

その指導者にとって正解なことでも

自分にとって正解なこととは限らないのです。

 

仏教では

欲が毒 とされていますので

自分の好きなことをしたらいけないと思い込んでしまいます。

体がしんどいのに奉仕活動に出かけたり

あの方が言うからこうしよう

あの方だったらこうするだろう

好きなことにお金を使うこのは良くないのでやめておこう・・・

と極端に考えてしまいます。

それから

好きなものと嫌いなものが良くわからなくなるので

本当に自分に合っているものがどんどん遠ざかっていき

なんだか人生が同じところでぐるぐる回っている感じがしてきます。

 

何か悪いことが起きれば

指導者に相談しよう

お金を払ってお清めをしてもらおう

 

など

この繰り返しになります。

 

良くないことが起きる

 

得がまだ足りないから奉仕しよう お布施しよう

 

お清めしなくては・・・また何か起きてしまう

 

となります。

 

自分の軸 がはっきりと整っている方は

 

純粋にご先祖のために

 

時間が空いたから奉仕しよう

 

日頃の感謝を仏様に報告しよう

 

となります。

自分軸の整っている方は収入も増えてくるので

 

純粋にお布施をしたいという気持ちにもなります。

 

全て自分から何か思った時に動きます

誰かに言われたから・・がないのです。

 

それから、インナーチャイルドが傷ついていて

軸がぶれている

 

このお布施やお清めをしたら

人生もっと良くなるかも

 

と期待してしまいます。

確かに人生は穏やかになります。

しかし、

 

ただ流れるままにいるような

自分の意思がなくなり

誰かの指示を待ち

内側からの自分の声を聞かないふりをし

無難に息を潜め

他人に合わせ

人の目を以上に気にし

密かに生きている

嫌な役も得積みの為と頑張ってしまう

 

そして、体が病気になっていきます。

 

 

自分の軸が整っていて

インナーチャイルドが癒されている方は

信仰は必要ないかもしれません

 

 

私は自分とは何かを探求し始め

信仰に違和感を感じ始めた時から

お寺にいけなくなることがなんどもおきました。

 

お寺に行く途中事故に遭う(軽い接触事故です^^;)

子供が熱を出しいけなくなる

帰り道にスピード違反で捕まる(笑)

 

など

もう行かなくてもいいよ

と言われた気がしました。

 

そして事故に合ってしばらくしてパタリと行かなくなりました。

もう私にとって信仰は必要なくなりました。

誰かに決めてもらう人生はおしまいです。

私は私の人生に責任を持って生きることを

やっとこの時 決断できました^^

 

みなさんはどうですか?

まずは自分自分を信頼し、

自分が自分の最大の味方になることを決めてくださいね

 

本日もありがとうございました❤️